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名前が付こうと付かなかろうと、生き物が生まれてすぐ始まるのは外部からの入力だ。

外部からの様々な入力を受け止め、そのひとつひとつに自分はこう応答したという実績の積み重ねが、個体の独自性を作る。一卵性双生児であっても別の人間なので、2人が経験する外からの入力内容は全く同一にはなり得ない。それでもかなりの点がそっくりなのは、もちろん遺伝子の直接の発露が主体であるにしても、多少は内容の異なる経験でも同じように受け止め、解釈し、応答するからなのかもしれない。エピソードの中身は違っても、受け止め方が近いために、あるタイプの経験をした後の変化がそっくりになる、とか。ある食べ物を食べると体質的にお腹を壊すから、その食べ物が嫌いになる、とか。免疫関連の"タイプ"が同じだから、似たような刺激でアレルギーになって、同じ食べ物が食べれない、とか。

元々、世界にはあらゆる種類の"信号候補"が溢れているが、そのうち我々が意識的に認識できるものはごく一部しかない。光/電波のうち日常的に認識できるのは、目が認識する可視光、熱として感じる赤外くらいだ。認識できる音は、20Hzを切るような低すぎる音と20000Hzを越えるような超音波とを除く、中間の部分だけだ。文字を読めるのは視野の中心だけだし、さまざまな雑音("カクテルパーティ")の中で聴き取れるのは既に頭にあった単語や話題だけだ。ひらがな100文字の文章を文章として聴けるのは、それを5秒以上3分以内くらいで読むときだけだ。免疫システムは"存在するあらゆる種類の抗原への抗体"で何でも認識できると言っても、窒素、酸素、二酸化炭素とか、エタノールグルコース、乳酸とか、そういうものはたぶん対象にならない。まず、分子が小さすぎて抗体のサイズと合わないことがある(フォークでひと粒の砂を持ち上げるのが無理なのと同じ)。そしてもちろん、日常的なものを攻撃していたら不利なので寛容にするという面もある。全ての波長の光や音が同時に同等に認識されたら、うるさくて仕方ないというのと同じ。とにかく、生き物は、認識できるように身体の仕組みが備わっている対象しか認識できない。

それは、赤ちゃんが政治の話を、新入社員がおじさんの話を、宗教にハマった人が世間の話を理解しないのと同じことだ。また、どんな恐ろしい感染症でも、菌やウィルスが入り込むための"取っ手(入口)"がない個体には感染しない。より根本的に言えば、虫がエボラウィルスを浴びても死んだりしない。

でも、赤ちゃんは20年経てば汚職の話を自分からするかもしれないし、新入社員は20年経てばおじさんの話をする側になる。感染を免れる条件が崩れた場合は、今まで大丈夫だった個体も感染する。

こう考えると、例えば、話が通じない相手に話を通じさせたいなら、相手の何かを変えて"話が聴ける"状態にさせる必要があるのだろう。最も単純なものなら、"情報を与える"ことで話を聞いてもらえるようになる。"こちらへの信頼を高め"ればたいていの話は通る。相手の生きてきた過程に根差した信念が障壁になっているようなハードルの高いケースなら、それに影響を与えられるくらいの経験を提供する必要が出るだろう。そりゃあ相手が年をとれば新しい話を受け入れてもらうのが難しくなるよ。

ともかく、人間(というか生き物)のかけるフィルターはすごい。たくさんのものを見えなくして、見るべきものを見やすくしている。でも、見えなくなったものの中にもきっと、すごいものはたくさん入っている。

 

 

名前

ブログに一番初めに与えたものはURLであり、自分の場合は新しいアカウントidでもあった。

身の周りにある物や事で、本当の意味で始まるために名前をつけることを必要とするケースは意外と多い。

人の一生が"本当に"始まるのは、名前をつけられたときからだと思う。受精卵ができた時からが本来は一生の始まりだとしても。逆に、名前をいろんな人が憶えているうちは、まだ完全に死んではいないとも感じる。"事"で言えば、まだ呼び方が決まっていない現象はその中身があやふやだけど、名前がついてそのイメージが次第に普及するうちに、姿(つまり必要な構成要素とか、中心的な作用とか)がはるかに鮮明に浮かび上がってくる。"物"で言えば、パーツが多くて全体を把握できないような雑然とした塊も、ある特徴ある部分に名前をつければ、少なくともその部分についてはよく認識できる。

自分にもし名前がなければ、自分のことは一人称でだけ呼ぶことになる。名前のない人がもし社会にひとりしかいないなら、名前がないことが逆に名前のように機能して、自分のことを認識できるし、させられる(「そうです!僕があの"名前のない奴"、Mr. anonymousですよろしく!」)。でも、名前のない人が周りにたくさんいて自分にも名前がなければ、隣の人と自分の境目がなんだかわかりにくくなってきて、"自分"の枠がフワフワしてしまいそうだ。微生物の塊であるボルボックスみたいに、みんなでひとつみたいな感覚になる。ボルボックスのひとつひとつが何を考えてるのかはわからないけど、人間としては、やっぱり名前がないと困る。

誰の言葉か知らないけど、わかるとは、分ける/分解することという考え方がある。分かる/解るという字のとおり。分けるとは、例えば項目が100個あったとして、そこから一部を取り出して別の場所に置くことだ。一部の取り出しを2回以上繰り返せば、前回のグループと間違えないために、それぞれのグループにラベルが必要になる。つまり、分けたら必ず名付けないといけない。

ボルボックスは詳しく知らないが、再生医療用の臓器を作る大もとの細胞や、カルスという塊に含まれる植物細胞は、最初、"名前がない"。つまり、全ての細胞が基本的に同質な状態にある。そこから芽や根、上皮や間質といった細胞の分化や組織の形成が進む間に"名前を獲得する"。つまり、元々同質だったものが性質を変化させて複数のタイプに分かれ、役割を分担する。このとき、それぞれのタイプを規定するコア遺伝子が何かをきっかけにしてたくさん動く(発現する)ことで、個々の細胞が各タイプへと分岐して行く。発現している遺伝子のパターンはそのあとも維持されるので、つまりこの"パターン"は、彼らの名前に相当する。遺伝子の活動パターンが彼らの言語なんですね。

普通の意味で、人が経験するあらゆる理解やそのための分類と名づけは、言葉なしでは難しい。遺伝子の活動パターンみたいな非言語の"名前"システムが備わってる訳ではない(もちろん、神経細胞達はそれで動いてるけど)。言葉で理解するおかげで、昔の人の考えが理解できる。遠くにいる人とも情報を交換できる。話を盗み聴くこともできる。このことが人間の繁栄の大きなトリガーだったんだから、言葉や名前(単語)の力はすごい。

この記事は、media heterogeniaというidのイメージに少し触っている。遠くから見ればほとんど同じようなたくさんの生き物が、集団の中で少しの多様性を生み出し、各個体の間には、媒体となる何かの"言語"が存在する。そんなイメージ。例えば、宇宙人から見れば、地球には手足があって毛の生えた似たような動物がたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、各個体は音とか見た目とかを言語として通信している。人間から見れば、山にはよくわからない虫がたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、音やにおいを言語にする。虫から見れば、地球には二足歩行の毛のないサルがたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、各個体は、通じるなら言葉で、通じないなら身ぶりや絵でやりとりしている。そんな感じ。なお、"(物理的な)実力行使"も一種の言語で、(残念ながら?)たいていの関係でかなり重要な位置を占める。

ともかく、理由はわからないけど、こういうのがとても好きだ。