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名前

ブログに一番初めに与えたものはURLであり、自分の場合は新しいアカウントidでもあった。

身の周りにある物や事で、本当の意味で始まるために名前をつけることを必要とするケースは意外と多い。

人の一生が"本当に"始まるのは、名前をつけられたときからだと思う。受精卵ができた時からが本来は一生の始まりだとしても。逆に、名前をいろんな人が憶えているうちは、まだ完全に死んではいないとも感じる。"事"で言えば、まだ呼び方が決まっていない現象はその中身があやふやだけど、名前がついてそのイメージが次第に普及するうちに、姿(つまり必要な構成要素とか、中心的な作用とか)がはるかに鮮明に浮かび上がってくる。"物"で言えば、パーツが多くて全体を把握できないような雑然とした塊も、ある特徴ある部分に名前をつければ、少なくともその部分についてはよく認識できる。

自分にもし名前がなければ、自分のことは一人称でだけ呼ぶことになる。名前のない人がもし社会にひとりしかいないなら、名前がないことが逆に名前のように機能して、自分のことを認識できるし、させられる(「そうです!僕があの"名前のない奴"、Mr. anonymousですよろしく!」)。でも、名前のない人が周りにたくさんいて自分にも名前がなければ、隣の人と自分の境目がなんだかわかりにくくなってきて、"自分"の枠がフワフワしてしまいそうだ。微生物の塊であるボルボックスみたいに、みんなでひとつみたいな感覚になる。ボルボックスのひとつひとつが何を考えてるのかはわからないけど、人間としては、やっぱり名前がないと困る。

誰の言葉か知らないけど、わかるとは、分ける/分解することという考え方がある。分かる/解るという字のとおり。分けるとは、例えば項目が100個あったとして、そこから一部を取り出して別の場所に置くことだ。一部の取り出しを2回以上繰り返せば、前回のグループと間違えないために、それぞれのグループにラベルが必要になる。つまり、分けたら必ず名付けないといけない。

ボルボックスは詳しく知らないが、再生医療用の臓器を作る大もとの細胞や、カルスという塊に含まれる植物細胞は、最初、"名前がない"。つまり、全ての細胞が基本的に同質な状態にある。そこから芽や根、上皮や間質といった細胞の分化や組織の形成が進む間に"名前を獲得する"。つまり、元々同質だったものが性質を変化させて複数のタイプに分かれ、役割を分担する。このとき、それぞれのタイプを規定するコア遺伝子が何かをきっかけにしてたくさん動く(発現する)ことで、個々の細胞が各タイプへと分岐して行く。発現している遺伝子のパターンはそのあとも維持されるので、つまりこの"パターン"は、彼らの名前に相当する。遺伝子の活動パターンが彼らの言語なんですね。

普通の意味で、人が経験するあらゆる理解やそのための分類と名づけは、言葉なしでは難しい。遺伝子の活動パターンみたいな非言語の"名前"システムが備わってる訳ではない(もちろん、神経細胞達はそれで動いてるけど)。言葉で理解するおかげで、昔の人の考えが理解できる。遠くにいる人とも情報を交換できる。話を盗み聴くこともできる。このことが人間の繁栄の大きなトリガーだったんだから、言葉や名前(単語)の力はすごい。

この記事は、media heterogeniaというidのイメージに少し触っている。遠くから見ればほとんど同じようなたくさんの生き物が、集団の中で少しの多様性を生み出し、各個体の間には、媒体となる何かの"言語"が存在する。そんなイメージ。例えば、宇宙人から見れば、地球には手足があって毛の生えた似たような動物がたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、各個体は音とか見た目とかを言語として通信している。人間から見れば、山にはよくわからない虫がたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、音やにおいを言語にする。虫から見れば、地球には二足歩行の毛のないサルがたくさんいるが、見た目は少しずつ違っていて、各個体は、通じるなら言葉で、通じないなら身ぶりや絵でやりとりしている。そんな感じ。なお、"(物理的な)実力行使"も一種の言語で、(残念ながら?)たいていの関係でかなり重要な位置を占める。

ともかく、理由はわからないけど、こういうのがとても好きだ。